馬肉の歴史をみてみる
牛や豚などの食肉と並んで、最近、身近になっている馬肉。
刺身や鍋などがあります。中でも食肉では珍しく生食が可能な馬肉ですが、いったいいつ頃から食べられるようになったのでしょうか。
そんな馬肉の歴史を少しみていきたいと思います。
馬肉はの始まり
馬と日本人の付き合いは2000年も前の縄文時代にまでさかのぼるようです。家畜としてモンゴルからもたらされたのが最初といわれています。
馬肉文化の歴史は675年に日本最初の天皇・天武天皇によって肉食禁止令「牛馬犬猿鶏の肉を食うことなかれ」とあるため、少なくともこの頃には馬肉が食べられていたというのがわかります。
馬肉文化の広まり
近世で馬肉・馬刺しが広まったのは、肥後熊本藩初代藩主の加藤清正がルーツであるという熊本県の俗説が有力です。
400年前の文禄・慶長の役当時に豊臣秀吉との朝鮮出兵で大陸に渡った際、食糧が底をつき軍馬を食した事が発端となりました。
帰国後も好んで馬刺しを食べたことから領地である熊本で馬刺しを食べる文化が根付き、全国へと広まったとされています。
仕方なく食した馬肉が意外に美味であり、その豊富な栄養価から滋養強壮剤としての役目も果たしたとも言われております。
人と馬の繋がり
いまからおよそ5千年前、それまでは食糧として狩猟の対象であった馬を家畜として飼い始めたことが人との繋がりのようです。
馬の走る速さや持久力に着目し、輸送・移動の手段として利用するようになったからと言われております。
その結果、人々は大量の物資を遠くまで運搬する事が出来るようになりました。
また荒地を耕す農耕馬は広い農地を耕したりと、馬は人々の文明発展に大きく影響しているのです。
馬は人々の生活には、いなくてはならない存在になっていきました。
「桜肉」という呼び名
馬肉は別名「さくら肉(桜肉)」とも呼ばれ、その由来には諸説あります。
お肉を食べることが禁じられていた江戸時代の隠語だったという説。
猪肉は「牡丹(ボタン)」、鹿肉は「紅葉(モミジ)」などありますが、煮込んだり茹でたりすると肉が桜色のように見えたことから「桜」の名前がついたという説です。
または千葉県の「佐倉」に幕府の牧場があり、多くの馬が放牧されていました。
江戸に近いこともあり、馬と言えば佐倉と言われるようになったのが、馬肉のことを桜肉と呼ぶ起源となったという説があります。
さらには馬は冬の間にたくさんの餌を食べ冬を越すため、桜が咲く季節に脂がのっておいしくなったから、という説もあります。
馬の歴史を振り返ってみましたが、次回は「馬肉の栄養価」について少しふれてみたいと思います。